2006.4

研究内容

Dictyostelium 属の細胞性粘菌は、独立したアメーバ状の単細胞生物として増殖するが、飢餓状態になると多数の細胞が走化性反応で集合して「移動体」と呼ばれるナメクジ状の多細胞体を形成し、環境要因の変化に反応して胞子塊と柄からできた子実体を作る。移動体の細胞は、子実体の柄になる予定柄細胞と、胞子になる予定胞子細胞にのいずれかに分化している。細胞性粘菌の細胞はアメーバ状の運動をおこなうだけでなく、エンドサイトーシスによって栄養分を摂取するなど、動物細胞と共通する性質を多く持っているが、子実体の胞子と柄細胞はともにセルロース性の強固な細胞壁に覆われ、柄細胞では液胞が細胞のほぼ全体を占めるまで発達するというように、この生物は植物的な特徴をも兼ね備えている。 今年度は前年度から引き続いて、個々の細胞の運動がどのように統合されて組織全体の運動や形態変化を起こすかという問題に焦点を絞って研究をおこなった。

1. 細胞突起の形成と伸長の機構

組織中の細胞運動の様子は平面上に拡がった細胞の運動とかなり異なるが、この事実があまり認識されていないため、その機構に関する研究は非常に少ない。組織中での細胞運動を詳しく調べるには様々な困難があるので、まず組織から単離された細胞と同様の細胞運動を薬物 (quinine) によって単細胞期の細胞に誘導する実験系を確立し、細胞の突起の形成と伸長の解析をおこなった。その結果、細胞膜近傍にあるミオシンの収縮が突起の伸長の原動力であり、アクチンの重合は突起の伸長ではなく細胞質の流路を限定する働きをしていること、突起先端部でのアクチン層の細胞膜への結合と離脱が突起伸長の制御に重要であること、等を明らかにした(図1A,B)。これは古典的な後部収縮説の主張する機構に近い。Quinine 以外の物質や、温度シフト、電気刺激などの物理的刺激によっても同様の細胞運動を引き起こすことができる。

細胞内のアクチン繊維の分布

図1 運動する細胞内のアクチン繊維の分布。GFP-actin binding domain 融合タンパクを発現した細胞の共焦点顕微鏡像を示す。A,B: 増殖期の細胞。通常の平面上の運動(A)と比較して、quinine で突起が誘導された細胞(B)では細胞前部のアクチン繊維が顕著に少ない。C: 組織中の細胞。少数の GFP 融合タンパク発現細胞を混合した移動体の一部を示す。アクチン繊維は細胞後部に多い。各コマの時間間隔は A,C: 24秒、B: 5.6 秒。Scale bar: 10 μm。

2. 組織中での細胞運動の機構

一方、組織中での細胞運動におけるアクチン繊維とミオシンのダイナミクスの解析にも着手した。細胞が密に詰まっている組織中では細胞の形態や突起の形成・伸長に大きな物理的な制約があるため、単離細胞とは見かけが非常に異なる。しかし、アクチン繊維のダイナミクスの解析から、上述の細胞後部収縮による運動が基本となり、進行方向に尖った部分では局所的に先端伸長の機構が働いているという可能性があることがわかってきた(図1C)。最近、細胞後部の収縮ができない突然変異株の細胞が、平板上の先端伸長による移動ができるのに対し組織中ではほとんど運動できないことが他の研究グループにより明らかにされたが、これは細胞表層の収縮が組織中の細胞運動に不可欠であることを示している。

3. 組織中での力の伝達をになう talin B

動物細胞の接着斑や筋腱接合部で見出されたアクチン結合タンパクの1種タリンは、Dictyostelium では2種類のものが存在する。以前より知られていた talin A が単細胞期の細胞接着に関わるのに対し、われわれが発見した talin B は形態形成期に重要な役割を果たす。このようなタリンの分業はこの生物で初めて見いだされた。脊椎動物でも同様の分業があると予想されるが、ショウジョウバエではタリンは1種類しか無いことが最近示された。talin B は小さなクラスターとして細胞膜全域にほぼ均一に分布する。talin B は予定柄細胞に多く存在するが、これは予定柄細胞が予定胞子細胞より数倍大きな力を出すことに対応する。また、ノックアウト株の細胞が基質に及ぼす力は野生株の半分にも満たない。さらに、移動運動をしている野生株の細胞では、細胞膜直下のアクチン繊維が基質に対してほとんど動かないのに対し、ノックアウト株の細胞ではアクチン繊維の位置が顕著に揺らぐ。これらのことから、talin B は、未同定の接着分子と細胞骨格をつないで細胞内で生じた力を効率よく外界に伝えることによって細胞運動に重要な働きをしていると考えられる。

4. 細胞運動の組織化

個々の細胞の運動機構がわかったとしても、それだけでは細胞運動が統合された細胞集団の振舞いは説明できない。組織中の細胞は様々な相互作用をしているが、従来あまり調べられていない力学的な相互作用に注目し、実験と理論の両面から研究を進めている。細胞性粘菌のパターン形成に大きな役割を果たしている細胞選別は、原動力または抵抗の異なる細胞の位置が組織中で入れ替わることで起こるが、これまでは選別の結果だけが注目され過程は全く省みられていなかった。上述の細胞運動の機構のモデル化によって初めて細胞の位置の入替わりの物理的な検討が可能になり、新たな実験の指針となっている。一方、神戸商船大学の梅田民樹助教授との共同研究で、これまで定説となってきた走化性とは別の局所的な細胞間相互作用から、組織全体の旋回や平行移動などの巨視的な運動パターンが生じることを示した。

5. 移動体運動の機構

移動体の細胞は、運動するだけでなく、移動体の先端から出された組織化の信号を次々と伝える役割をも担っている。いわば神経と筋肉の両方の働きをやってのけている。移動体の中での細胞の運動は、生物における自己組織化の一つの例として興味深いだけでなく、子実体を形成する過程での形態形成のメカニズムを理解するためにも重要である。移動体は、さらに環境に適応した反応である走性(光走性、温度走性、アンモニア走性、等)を示す。これまで、走性反応を示している移動体中の細胞の動きは全く知られていなかった。われわれは蛍光標識した細胞が移動体内での追跡や、移動体内での細胞運動のベクトルを計算する画像解析の方法を使って移動体中の個々の細胞の運動を解析し、光などの刺激が個々の細胞の運動にどのように影響しているかを調べている。これまでに光のビームによる刺激によって局所的に細胞運動の方向や速さが変化することを見いだしている。

6. 子実体形成の機構

子実体形成過程では、柄細胞と胞子への分化は、どちらも時間・空間的に極めて厳密に調節されており、それによって初めて正常な子実体ができる。これまでに、柄細胞の分化には細胞質の pH が重要な役割を果たしていることを明らかにした。様々な工夫の結果、形態形成を行っている組織内での細胞質 pH の分布をリアルタイムで見ることができるようになり、形態形成過程での細胞運動と細胞分化に、細胞質 pH がどのように関連しているかを詳しく調べている。その結果、柄細胞分化に先立って細胞質 pH の低下がおこることがわかった。別のin vitroの実験の結果から予定柄細胞は予定胞子細胞に比べプロトンポンプの活性が低く、わずかの酸負荷によって大きな細胞質 pH の低下が起こることや、柄細胞の分化に伴って酸の放出が起こることを示しており、おそらくわずかなアンモニア濃度の低下が引き金となって予定柄細胞から柄細胞への分化が自己増幅的に起こるのではないかと考えている。

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